Sunrise walker

お散歩交換日記

社会科見学2

古墳で失ってしまった心を持ちつつ、2か所目は炭鉱王として知られた、伊藤伝衛門邸。

 事前知識全くなくて、最初はでかい家だなくらいだったんだけど、思いのほか興味深く楽しかった。
写真結構撮ったのに!!残念ながら屋内の撮影で手振れ多くてがっかり…。
人がいると早く撮らないと!って思ってしまうのもある。写真メインで。

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入口。写真遠巻きに撮ってると、案内の人がササっと門に隠れてくれた。優しい。

 

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玄関を入り応接室を抜けると、長い廊下。
板張りだと思ったら下は畳。天井が歪んで見えるけど、実際は目の錯覚で全て平面になっているとか。盗み聞きの説明によると、荒波に揉まれながらも真っ直ぐ突き進むみたいなそういう感じだった。

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お庭。これだけの庭あったら外に散歩に行く必要はなさそう!

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大きな広間にあった、雛人形?的な。
全部で100近くありそう。小さな弓とかもあって見てるだけで職人の技って感じがした。

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庭に出てみて撮った写真。
結構いいアングルで撮れたと満足。2階に見えるのが今回より興味が沸いたきっかけの白蓮さんのお部屋。白蓮さんを迎えるために増築に増築を重ねて作ったらしい。

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全景と思いきや、まだ右にも屋敷がある。蔵も二つも備える大豪邸。

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これだけお金かかってる家なのに、足元を見るとでかい岩でバランスを取っていた…

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この時代では不倫姦通罪といって罪になっていたのだとか。
命がけの恋とか男らしいとか書いてるけど実際はどうだったんだろうという斜めに見てしまう僕は少し調べてみることに。

調べてみるとこの白蓮さんは大正天皇のいとこ。その時代では華族というらしい。
15歳で学校をやめさせられて強引に決められた相手と結婚。
その相手は知的障害も抱えてたと言われ、結婚することを交換条件に色々とあったようだ。
その後離婚することになるのだけど、それには子供を作り子供を残すという条件。
離婚を恥と考える家には戻ることを許されず、母親が用意した隠家で3年間家から出られない強制引きこもり生活。ちなみにその母親も、本当の母親ではなく、白蓮は父親の妾(愛人)との間に出来た子供だったとのこと。

引きこもりながら歌の勉強を受けるようやく自分のしたいことをできるようになり、学校にも行けるようになり勉学に励む。女学校を作りたいという夢の為に相談に乗ってくれる人がいると嘘をつかれ、お見合いと聞かされてないうちに、福岡の炭鉱王である今回の伊藤伝衛門さんと出会い結婚することに。伊藤伝衛門も妻を亡くした直後だったらしい。年の差は25歳。

しかし勉強よりもひたすら肉体労働をしてきた人と、小さいころから作法、勉強を教わってきた白蓮。いわゆる美女と野獣
住む世界が違うことを埋めようとするべく、お金を使いまくってこれだけ綺麗で大きい家でバランスを取ろうとしていたのかな。その当時も新聞では、福岡の田舎者の成金がお金で華族を買った等と書かれていたらしい。今だと週刊誌とか5chレベルのことが当時は新聞で書かれていたって凄い時代。

なんとこの屋敷内には、お手伝いさん等ももちろんのこと、伝衛門の愛人も一緒に暮らしており、白蓮はノイローゼになるくらい辛かったそう。
そりゃこれだけでかい家とはいえ、時代もあるかもしれないけど愛人がいたり、風俗にいったりするような環境で安心できるわけないよな。
その妾も妾で自分の立場が危ぶまれるということで、二人は相当対立してたそう。

その後辛い生活の中での、小説の執筆中に偶然宮崎龍介と出会い恋仲になる。
最初は手紙のみのやり取りのみ。が、ついに耐えられなくなり駆け落ち。最初にいったように、この時は姦通罪という罪になる時代。
そこで新聞を使っていかに辛い生活だったかを世間に知らせ同情を買うように持って行ったそうだ。新聞を使って絶縁状を叩きつけられては世間の目がという思いもあったのか、どこかで合わない相手だと思っていたのか伝衛門は訴えることもせずに離婚に同意。お金だけじゃなく、家柄も含め合う相手って大事だよなあ。。

「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人人よりは燁子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」

宮崎龍介、「柳原白蓮との半世紀」『文藝春秋』昭和42年6月号創刊45周年記念号


その後ようやく初めて好きになった人と結婚でき、死ぬまで幸せに暮らしたようで本当によかったなあと映画のハッピーエンディングを願うような気持ちでこれを知った。


ただのでかい綺麗な家を見ただけじゃなくて、こうして知るきっかけになりトータルで面白い場所だった。
またいつか行ってもいいかなって思える。写真メインと言いつつ、こんな長文になってしまった。